生きること・働くこと⑥ 災害が起きて感じる“日常”の大切さと「仕事」
2018年8月2日
2011年の東日本大震災で津波被害に遭った福島県いわき市(当時)。 |
また、タイで洞窟に取り残された少年たちの救出作業に世界から参加し、子どもたちの救出を行っている人たちの姿も強烈に記憶に残りました。
そこでふと思いました。救出作業に当たっている消防や警察の人たちは、これを仕事と思ってやっているのだろうか。もし、災害がなかったらもっと違うことができたのに、と思ったりするのだろうか、と。
2011年の東日本大震災の時にも、全国から、そして海外からも支援の手が差し伸べられました。全国の地方自治体も数年間、職員を派遣して災害地の住民活動を支えましたが、派遣職員の中には役目終了後に退職して災害地に残り、地元自治体や団体などで活動を続けている人がいます。その人たちは災害がなければどんな人生を送ったでしょう。また災害によって仕事に対する考え方は変わったでしょうか。
私は東日本大震災の後、被災地をこの目に焼き付けようと福島県内を歩き回り、新聞やWebマガジンに記事を書きました。収入にもならず、反響もありませんでしたが、自分ではその時やらなければならないこと、やりたいことをやっているという充実感がありました。被災者から「私たちを忘れないで欲しい」という言葉を聞き、自分自身が忘れないためにひたすら書きました。
私は、消防や警察の人たちも同じだと思っています。被災地に派遣される前は別の大きな夢を持っていたかもしれません、でもそれよりも、被災者の“日常=当たり前の生活”を取り戻すことを大事だと思って救助活動に打ち込んでいるのではないでしょうか。そして、それがもっともやらなければならないこと、もっともやりたいことなのです。そういう仕事はない方がいいのはもちろんですが、でもそれはマイナスを埋めるだけのつまらない仕事ではなく、人間にとって一番大事な“日常”を取り戻す一番大事な尊い仕事なのだと感じました。
次回は、仕事のマニュアルについて考えてみます。