新着情報
2023年11月15日
児童精神科医 有賀道生さんに聞く「子どものこころに寄り添う」(中)
子どもの心の声はガラス細工のようなもの、丁寧に大切に取り扱ってください
発達障害など子どもの治療にあたっている児童精神科医・有賀さんは、子どもが自分の本心を親に伝えたら、それは本当に勇気を持って差し出した自分に対するガラス細工のようなものだと強調します。だから親も学校の先生もそれを丁寧に受け取ってほしいと。それを診察や講演を通じて伝えることが、今の有賀先生にできる最大のことだそう。
リアルなコミュニケーションが子ども自身の心の対話にもつながる
私は障害に関わらず、親は子どもに対して一緒に何かして、とにかく共通の話題でやりとりを続けてほしいという感じです。対話です。対話は自分自身との心の対話にもつながるのですが、リアルで人との対話もなかったら自分の心との対話もできないんです。だから本当に取るに足りない話とか雑談とかそういうのでも構わないので、やっぱりリアルなコミュニケーションが身近にあることが必要です。
みんながそれぞれYouTubeなどを見ていて、シーンとした状況っていうのはどこの家庭でも増えているようです。だったら、一緒にYouTube見ればいいじゃないかと思うのです。5分でも一緒に見たらいいじゃないですか。子どもが何に興味示しているかっていうのを、むしろこっちが乗っかるぐらいの感じで見てやって、「何これ、教えてよ」みたいな感じでも近づくのもいいかと。
子どもに「YouTubeばかり見て、ゲームばかりして」と言う前に、ちょっとのぞき込むぐらいの余裕があるといいですね。
親って、「子どもがこうしているのがいい」という理想像があって、それから遠ざかってくると不安になるから拒絶するわけです。宿題はちゃんとやって、やるべきことはやって、早く寝てのような理想像。絶対、そのとおりに子どもがするわけないんです、子どもなんだから。子どもの世界にタイムスリップするかのように、親もちょっとそこに入り込んであげるのもいいんじゃないか、と個人的には思います。自分たちが実は子どものころに親にさんざん言われていたことなんですね。
「漫画ばっかり読んでないで」も結局は同じです。でも、親が興味持ってくれると、子どもって結構テンション上がるっていうか、いい意味での距離感が近づくことがあります。子どもの関心・興味に少しかじりつくみたいな、そういうところは親に言ったりしますね。
でも親のほうを否定ばかりするのも気の毒なので、子どもの世界を少しのぞき見してあげるのもいいですねと言います。「今、盛り上がっているのはこれ」「子どもの世界ではこういうことがブームなんだ」っていうことを知るだけでもコミュニケーションに広がりが出たり、深みが出たりするんじゃないですかという話をしています。
その後に大人になった状態を見ると、この子は少年期に足りてなかったものがやっぱり見えるんです。自分が訴えてもかなえてもらいにくかったのかなとか、諦めてしまっている人のような、いろんなことが見える。「こうあるべきだ」というところばかりを言われていて、「でも自分は望んでないし、しかもその期待に応えられるような力はないしなあ。だからもういいや」ってなっている人もいます。
でもちゃんと満たされている人は、社会参加をして自分なりに貢献してやっていきたいという感じになっています。それは発達障害があっても、なくても。障害があると確かに苦労はするけれど、そこに手助けを得ながらやっているわけです。社会参加意欲とは、本当に学齢期からの積み重ねで絶対に大きく培われるものだろうと思っています。
「味方増やし作戦」に必要な社会的スキルがある
対人関係スキルも、基本的なマナーの習得もやっぱりやっておいたほうがいいです。要するに、無視されないようにしようみたいな話をします。どうしても社会で人に囲まれて生きていくというのは間違いなくあるわけなので、人が人を救うのは事実なのですが、でも逆に人って時にはつらい目に遭わせてくる。
どうやったら味方を増やせるかっていう作戦を考えていきましょう。「味方増やし作戦」。味方になってくれるための、こちらの伝え方とか、振る舞い方っていうのがやっぱりある程度必要です。ソーシャルスキルみたいな話ですが、味方、援軍をふやす。1人で戦うのは心細いでしょう。味方はいくらいてもいい。
そのためには挨拶と、お礼と。そういう話が出てくるわけです。時には詫びを入れるっていうのも、納得いかなくても必要なことがどうしてもあるという話です。発達障害の人たちは詫びを入れるのがすごく難しいのです。「納得いかないけど謝ります」みたいなことです。処世術みたいなもので、敵をつくらないようにするための方策です。
専門的な知識ではなくて、われわれが普段何をどうしているのかというのをもうちょっとシステマチックにつくり直せばいいだけです。われわれが社会でうまく適応しているのかを考えたときに、やっていることを体系化してしまう。例えばこういうことをこういうときに意識しているんだなってきちんと分類とか整理していけば、別に誰でも伝えられると思うんです。発達障害の専門家じゃなくてもです。
子どもには分かりやすくっていうのは当然だと思うので、何が一番身近なのかなとか知っているのかなとか、そういうのを題材にして伝えるっていうのはかなり意識しています。「それテレビで見たことある」とかのように、何でもいいのでイメージしやすい例えを使いながら説明すると「ああ、そういうことか、確かにそうだよね」ってなるわけです。
「納得」というのはかなり、発達障害があったりする子にはすごく必要なポイントです。「腑に落ちた」とか、「なるほど」のように。腑に落ちないとどうしてもやらないとか、動かないとか、自閉スペクトラムなんていう発達障害のある子たちは特にそうなのです。納得すれば、逆にすごく真面目にしっかりやってくれるという性質もあります。そこはかなり医師としてエネルギーを使う部分ですよね、親に向けても本人に向けてもです。
アフターコロナも子どもの本音を丁寧に受け止めてほしい
コロナ禍の一番悲惨なところは、感染して病気になるっていうのもそうなんだけど、人と人とが接することができなくなってしまった。隔離とか、学校も3カ月行けなかった時期がありました。学校教育の現場を見たって、距離をあけて接しろとか、現場は混乱していました。管理主導型になれば、そういうのは家庭教育にも当然影響を及ぼすわけです。親が管理するっていう、この状況がどうしても出てきちゃう。全然フリーに、いろんなことが考えられずにできなくなるというのはコロナ禍で非常にあったと思うのです。人と接する、物理的にも心理的にもそういう機会が圧倒的に奪われたのです。
これは全国、世界中どこでもそうかなと思うんだけど、地方都市は余計でしたね。とにかく感染予防に努めなければっていうのが優先された。学校教育現場もまさにそうだから、子どもに寄り添うなんて不可能だったのです。それがかなり痛手なんじゃないかなっていうのがある。
私が横浜から群馬に戻ってきたのは、ちょうどコロナがはやり始めたころだったので、今の桐の木クリニックは4年目なんですけど、3年前はまさに、自分がクリニックに赴任して最初にやった仕事は感染対策ですからね。学校ももちろんそうでした。
結局、コロナ対策にお金が取られるから、必要な部分にお金がまわらない。行政だって、教員がどんどんメンタルヘルス上の問題を抱えて退職されたり、休まれたりっていうのもニュースで出ているぐらいですけど、そりゃそうかなって思いました。感染対策をちゃんとやれという。
教育の上からの指示と、現場の保護者からの訴えと、そりゃ現場の教員はやってられないみたいな感じになってもおかしくない。保護者の要望を聞けばそれは感染対策上無理だとか、そんなことがすごくたくさんあったわけです。例えばマスクができない子はマスクなくてもいいかとか、駄目だとか。教員は本当に板挟みです。教員が辞めても予算上はコロナのことに費やされるから、そっちに回す費用がないという悪循環があって、今の少し悲惨な現状があるのかなと感じますよね。
とにかくそんな中でも、私たちがやれることは、子どもの本音をしっかりと大切にしてあげられることかな。心の声みたいなところです。
ほとんどの子に言っています。自分の心の声っていうのはガラス細工のようなものだから、丁寧に大切に取っておいてしまっておきなさいと。子どもが自分の本心を親に伝えたら、それは本当に勇気を持って差し出した自分に対するガラス細工だから、親は丁寧に受け取ってほしい。
(取材・編集/学びリンク)
桐の木クリニック院長 児童精神科医
群馬大学医学部附属病院精神科神経科助教、 国立重度知的障害者総合施設のぞみの園 診療所所長、横浜市東部地域療育センター所長などを経て、令和2年より現職へ。
群馬県とくに西毛地区(高崎市・安中市・富岡市など)の地域精神医療に従事し、「ゆりかごから墓場まで」すべてのライフステージにおけるメンタルヘルスケアの実践を試みている。
また、群馬県内の各種講演会、研修会での講演活動のほか、県内の小・中学校、高等学校における教員へのスーパーヴァイズや、少年院へ嘱託医勤務し、犯罪・非行に関する矯正医療にも継続して携わっている。