椎名雄一先生コラム『不登校に効く心理学の話』⑨
人生は苦行だと教えていませんか?(幸せな大人のお手本)
2022年8月16日
日々皆さんとメッセージのやりとりをさせていただいたり、カウンセリングをする中で気づいたことや傾向などをこのコーナーでお伝えしています。
今日は「人生は苦行だと教えていませんか?」という話です。
皆さんにとって人生とは「苦行」のようなものでしょうか?「楽園」でしょうか?
私はたくさんの方とカウンセリングをして、そのどちらも正解だと感じています。それはその人の価値観次第だからです。
私がひきこもりからようやく脱出した32歳くらいの頃。社会復帰の第一歩として、警備員をやり始めました。警備員仲間もたくさんでき、家に遊びにいくこともありました。多くの方が四畳半くらいのアパートに住んでいてテレビもタンスもない人もいました。1枚だけ布団を部屋の真ん中に敷いただけで暮らしている人もいました。部屋は狭いけれど、ある人は小さなメモ帳に小説を毎日書いていましたし、ゲームセンターで1日1回だけゲームをするのを楽しみにしている人もいました。
塾に通って高学歴を目指していた私にはびっくりする生活でしたが、誰かと比べることもなく、重すぎる責任もなく、いつもニコニコ機嫌が良い。そんな人生の方が幸せだったかもしれないなと感じました。
私は大学卒業後に大手の通信事業会社に就職しましたが、ノルマと責任と人間関係とで家に帰ってきても解放された気がしていませんでした。その前提には「人生は苦行」そんな価値観があったように思います。
振り返ってみれば塾の先生も学校の先生も親も何かに追われていました。苦行のノルマみたいなものに追われていました。
苦行といえば胸に刺さって抜けない言葉があります。
それは大学生の頃、海外旅行をした時にタイ人に言われた言葉です。
「日本人は青い顔して、点滴を引きずって出社すると評価されるんだろ?」
確かにそういうところがあるなと当時感じたのを覚えています。大変な思いをした。苦労した。額に汗して働いた。その「苦労」の部分が評価基準。病気になれば理解してもらえる。んな「苦行」がベースの発想が当たり前になっていたことに気づいた瞬間でした。
タイ人は続けて言いました。「楽しく働いちゃいけないの?」
警備員をしながら楽しい仲間と無理をしないで楽しく暮らしている警備員仲間を見て僕はそのタイ人を思い出しました。人生は「楽園」と思っている人もいるんだな。
もし、人生は「楽園」と思っている人と「苦行」と思っている人がいたら皆さんはどちらの人たちと暮らしたいですか?私は「苦行」だと思い込んでしまったから死にたいと思ったのかもしれないな。今振り返ってみるとそう感じます。
20歳くらいまで、将来のために頑張れば未来がひらけて幸せな人生がやってくる。その未来への投資が努力だ。とどこか信じて頑張ってきた気がします。親や塾の先生にもそう言われた覚えがあります。でも、20年間、努力ばかりで自由に遊んでいなかった人が仮に経済的に成功したら、ある日突然楽しめるようになるのでしょうか?20年間で染み付いた「苦行ぐせ」が抜けなくなって楽しむことに罪悪感を覚えたりしないでしょうか?楽しみ方は楽しんだことがないのにわかるのでしょうか?
その境目は周囲にいる人の前提のように感じます。
皆さんにとって、人生は「楽園」ですか?「苦行の場」ですか?
お子さんに伝えたいのはどちらでしょうか?