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椎名雄一先生コラム『不登校に効く心理学の話』52
国語力と悩みの解決

 2024年11月19日

 


カウンセリング室の椎名雄一です。
日々皆さんとメッセージのやりとりをさせていただいたり、カウンセリングをする中で気づいたことや傾向などをこのコーナーでお伝えしています。

カウンセリングをしていると「国語力」の問題が気になることがよくあります。

「それまじでやばくない?」
「みんな怒っているよ」
「そんなのは笑顔でいればいいんだよ」

一見すると意味が通っているようなこのような言葉ですが、背後に「国語力のなさ」が見え隠れしています。「やばい」には「素晴らしい」「かっこいい」「圧巻」「危険」「まずい」「大変」「恐ろしい」「絶望的」「不安」「立場がない」「失礼」・・・のようにさまざまな意味がありますよね。そして「危険」と「失礼」では対応の仕方はもちろん違います。ですが、その「やばい」の意味の違いを区別できない人が増えています。

「不安」か「危険」か「失礼」か「素晴らしい」かわからないような表現で現実を認識しているとその後の対処方法もあいまいで的外れなものになってしまいます。

2つ目の「みんな」という言葉も同様に「国語力」の問題が背後に隠れています。

AさんがBさんに対して怒っている

という言葉もきちんと表現できていないと(誰が)(誰に)怒っているのかがあいまいになります。

怒っているんですよ!

・・・(誰が?)(誰に対して?)

私があなたに対してなのか?
相手が私に対してなのか?
友達が先生に対してなのか?

(誰が?)(誰に対して?)があいまいになり始めると次第に登場人物の顔が浮かばなくなり、(誰かが)私に対して怒っている。というふうに変化してきます。
次第にその(顔が見えない誰か)が(みんな)に変化していきます。地球上には80億人からの人がいるとして、全ての人に「怒っていますか?」と聞いたわけではないのに(みんなが)と解釈が変わってしまいます。実際には2、3人のことを「みんな」ということもありますから、ちょっとした出来事でも(みんなが)(全部が)(世界が)と大きな話になってしまいます。

残りの79億9999万人くらいの人たちは怒っていないのに(あなたのことを知りもしないのに)「怒った」と誤解してしまいます。

保護者が「困っているんです!」という時にも
表向きは「我が子が」という雰囲気で言っていますが「私が」であることもよくあります。

ただの省略ではなく、対象を明確にしないで話す癖がついていると「みんなが怒っているんだ」というに気づかずに現実を歪めて解釈してしまいます。

3つ目の「笑顔でいればいい」もそうですね。

笑顔にもいろいろな種類があり、背後にある感情は「不安」だったり「忖度」ということもあります。また、笑顔でいようと思ってできれば誰も苦労しないわけで、そうできない場合の話をしているということに気づけていない(相手の話を聞けていない)など「笑顔」という単語の理解が浅すぎるために起きている誤解が背後に潜んでいます。

「国語力」は頭の中で思考するための力でもありますから、上記は一例ですが、言語化する際に世界を歪めて解釈してしまったり、あいまいすぎて現実を言語化できていなかったりするとその後の思考は素材集めの段階で失敗していると言える状態になっています。

保護者が正しい日本語を使うこととお子さんが正しい日本語を身につけ、正確な言葉で自分自身の悩みや心情を説明できるようにすることは問題を取り扱う第一歩といえます。

まずは保護者自身の不安や焦りなどを正確に言語化してみてはいかがでしょうか?
ほどなくして正確に言語化することが難しいと気づくと思います。