学びリンクで働く!元不登校・通信制高校卒業生のつぶやき
27:自分が満たされる基準
こんにちは。
学びリンク編集部で働いている、元不登校・通信制高校卒業生の柳野です。
このコラムでは、そんな私が通信制高校の専門出版社である「学びリンク」で働きながら感じたことを紹介します。
ここ最近の2回のコラムでは、私が中学3年生の夏休み明けに精神科に入院した経験を振り返りました。コラムを通して、この経験を改めて考える中で、自分が満たされる基準が変わったターニングポイントでもあったなと感じます。
入院中、初めて外泊許可が出た時、車の中で自然と涙が出たことを覚えています。1ヶ月ぶりに出た外は、夜だったにもかかわらず、ものすごく明るくて、まぶしくみえました。そして、外に出て、外の空気を吸って、広い景色をみられることはなんて自由で幸せなことなんだ、と思い知ったのです。
閉鎖病棟でも病棟内ではある程度の行動の自由があった一方で、それまで当たり前だったことができない環境下にいたことを痛感しました。そして、それまで当たり前だと思っていたささいな日常を尊く感じるようになったのです。
自由に外を出歩いて、香りや景色を楽しむ。飲み物やごはん、おかしをいつでも食べたいだけ食べられる。お風呂に毎日ゆっくり入ることができる。これらが当たり前だった自分は、勉強や運動での点数や人からの評価でしか自分を満たすことができず、完璧を求めてばかりでした。
しかし、入院生活で当たり前が日常ではなくなり、理想とする完璧な自分からも程遠くなっていることに気づかされたのです。幼少期から不登校になる度に、親やカウンセラーの先生から「頑張りすぎないで。ほどほどに」と言われ続けていたことが、やっと身に染みてわかりました。
そして、完璧ではない自分を許せるようになり、ほんのささいなことで幸せを感じる今の自分が形成されたのだと思います。
精神科に入院した経験は、誇らしいものでもなく、自慢できるものでもありません。しかし、自分の人生に意義をもたらしてくれた経験だったと感じています。
最近、過去の経験から同じように感じている方々がほかにもいることを知りました。
学びリンクの通信制高校合同相談会や書籍でお世話になっている「親子支援ネットワーク ♪あんだんて♪」が発行している、『♪あんだんて♪通信 NO.129』(2024年9月25日発行)で、ある親御さんがお子さんの不登校についてこう振り返っていました。
私たち家族は、長男が不登校になって強制的に発想や価値観の転換をせざるをえなくなったが、結局、不登校をきっかけとして目に見えない『フツウに生きる』という縛りから解放され『自分にとって幸せな生活とは何か』を軸に、自由に楽にオモロく生きていけている。子どもたちが気にいった人生を歩んでいるなら、それはそれでいいと思っている。
また、学びリンク通信制高校合同相談会で、関東圏の起立性調節障害相談コーナーと講演を行っている『KJ起立性調節障害オンラインコミュニケーション』 運営者・川倉祐美さんは取材でこう言っていました。
川倉:息子が中学1年生で起立性調節障害を発症した当時、あまりにも体調がひどかったため中学卒業後のことはもう全然考えられませんでした。「こうあってほしい」という希望や理想よりも、「今日も起きてくれてありがとう」という価値観のハードルに変わったんです。
息子が大学3年生になり症状が落ち着いた今も、朝起きてきたら「おはよう。よく寝られてよかったね」といまだに言っています。それぐらい、息子が“今いる”こと自体が私にとってすべてで、本当によかったと思うのです。
親がこんな感じだと、子ども本人も「やりたいことにチャレンジしよう」と自分の人生に前向きになりやすいのかなと思います。息子が起立性調節障害を発症したことを機に、自分の価値観がフラットにリセットされたのはよかったと、振り返って思いますね。
このように、不登校や起立性調節障害が「ただつらい経験」で終わるのではなく、自分が何に幸せを感じるのか、何を大切に生きていきたいのかなど、自分の人生を歩むために必要な視点を教えてくれる経験にもなるのです。
その視点を得られたことで、私はより生きやすくなったと感じています。